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バタフライナイフ

http://butterflyknife.blog.shinobi.jp/

2024/05/07 (Tue)

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2014/02/13 (Thu)

栃木の春は、鮭二本

栃木県立美術館 『日本近代洋画への道 山岡コレクションと高橋由一の名品を中心に』 という展覧会。

ポスターの 『栃木の春は、鮭二本』 というキャッチコピー いいかんじ。
なんとも興味をそそられて いそいそでかけた。

鮭を描いた絵は さいしょの展示室に ならべて飾られていた。
キャンバスに描かれたものと 板に描かれたものでは 印象が ずいぶん違うのだった。
ふっくらおいしそうな鮭。とってもかたそうにみえる鮭。
板に描かれた絵は 板の目や質感をそのまま活かしているようすが おもしろかった。

徳川慶喜さんの絵は はじめてみたようにおもう。なかなかじょうずだった。

このあいだ 上野でみた ターナーさんの絵が帰ってきていて
白瀧幾之助さんというひとが描いたターナーさんの模写と ならべて飾られていた。
『おかえり!』 とおもいながら 眺めた。

幕末から明治にかけて 日本の画家さんたちが 洋画を学んでいったようす。
はだかの絵や彫像が 布で覆い隠された時代に はだかを表現したひとたち。
ふむふむ みてまわる。

ミュージアムショップで ポストカードを 2枚 買い求めた。

★ 高橋由一 『鮭図』
★ チャールズ・ワーグマン 『百合図』

2013/12/12 (Thu)

ゴッホ、スーラからモンドリアンまで

国立新美術館 『クレラー=ミュラー美術館所蔵作品を中心に 印象派を超えて 点描の画家たち』 という展覧会。

はるばる オランダの クレラー=ミュラー美術館からやってきた絵は
はじめてみる画家さんのものも たくさんあった。
日本の美術館に収蔵されている絵も ちらほら。
点描の絵は どれもこれも素敵で いちいちときめいちゃう。

ゴッホの 『種まく人』 は とりわけ素晴らしかった。
丹念に塗りかさねられた 絵の具のようす。その力強さ。

つねづね 『点描すきかも』 とおもっていたのだったが その思いをつよくした。
つねづね 『ゴッホすきかも』 とおもっていたのだったが その思いをつよくした。

分割主義に 必要なものは 冷静さと 忍耐力。
絵の具はパレットで混ぜずに キャンバスに色を置いていく。
補色を組み合わせることによって 視覚的な効果がうまれる。
ふむふむ おべんきょう。

どうしてゴッホやスーラの絵と モンドリアンの絵がつながるのか 謎だったけれど
展示の構成が見事で 点描の画家たちの分割主義が
モンドリアンの あの大胆な抽象画に発展するさまが とてもよくわかった。
色彩についての考えを 突きつめたら あの絵になるんだねえ。

ミュージアムショップで ポストカードを 3枚 買い求めた。

★ フィンセント・ファン・ゴッホ 『種まく人』
★ フィンセント・ファン・ゴッホ 『レストランの内部』
★ ポール・シニャック 『マルセイユ港の入り口』

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2013/11/21 (Thu)

藤井達吉

宇都宮美術館 『藤井達吉の全貌』 という展覧会。

まずは コレクション展という名の 常設展。
美術館は ひどく空いていて マグリットもシャガールも ひとりじめで鑑賞できるのだった。
高橋由一の 『中州月夜の図』に こころ奪われて しばし見蕩れた。
月のひかり 映る水面のきらめき。

はてさて 企画展。

文箱とか うつわとか 電気スタンドとか 着物とか。
屏風とか 衝立とか 掛軸とか 油絵とか。
彫刻や刺繍の細やかさ 七宝や螺鈿のきらきら。

そこいらへんの 野の草花が さまざまに描かれているようすが よかった。
四季折々の うつくしい自然を 愛でるきもち。

藤井達吉さんの絵は どこか一箇所 目をひくところがあって
それがおもしろくて ふむふむみてまわる。
『日光(朝)(昼)(晩)』という 三幅の掛軸は とりわけ素敵だった。

『土星』 という掛軸の解説 めもめも。

『この常軌を逸した作品には、驚きを隠せない。おそらく誰も描いたことのないだろう土星を、真正面から描き切った姿勢には、はっきりと藤井の意思と感性を感じる。………』

『土星』のポストカードが欲しかったけれど 売ってなかった。
しょんぼり しょんぼり。

20131121

2013/11/14 (Thu)

ターナー

上野の 東京都美術館に ターナー展を みにいった。

わたしの暮らす街にある 栃木県立美術館には ターナーの絵があって
イギリスの絵をあつめた企画展も しばしばひらかれたりしているので
ターナーさんは おなじみのかんじ。

ターナーさんの絵がたくさんあつまっていて 見応えがあった。
色彩の実験をした習作や 晩年の未完成とおもわれる絵もあった。
まめちしきみたいな解説が おもしろかった。
”実家は床屋”とか ”趣味は魚釣り”とか ”秘密主義”とか。
いちばんつかった色は クロームイエロー とか。
ターナーさんの絵の具箱が展示されていて しげしげ眺めた。
当時はまだチューブ入りの絵の具は出回っていなくて 豚の膀胱に絵の具を詰めていたんだって。
なるほど豚の膀胱らしき まあるいものが たくさん並んでる。
そのなかに 1本だけ 当時めずらしかったチューブ入り絵の具があって
それが クロームイエローという色なのだった。

旅をしながら絵を描いたようすも わかった。
実際持ち歩いていたスケッチブックも 展示されているのだった。

おともだちが亡くなったときに描かれた 『平和―水葬』という絵が こころにのこった。
黒い色に込めた想い。水辺を飛ぶ鳥に託した意味。

栃木県立美術館蔵の 『風景:タンバリンを持つ女』は さいごの部屋に展示されていた。
おなじみの絵を ちがう場所でみるのって なかなか新鮮。

それにしても 東京の美術館は 大混雑だった。なんてひとが多いのかしら。
行列をつくって 人垣越しに絵をみたりするので とってもくたびれちゃう。
地元の美術館で ほかに誰もいない静けさのなかで
『風景:タンバリンを持つ女』を鑑賞できるのは 贅沢なことだったんだなあ。

ターナーさんは ひかりの表現が うつくしかった。
月のひかり のぼる太陽 しずむ太陽 映る水面のきらめき。
まわりの景色まで とろけだすような 眩さ。

ミュージアムショップで ポストカードを 5枚 買い求めた。

『月光、ミルバンクより眺めた習作』
『バターミア湖、クロマックウォーターの一部、カンバーランド、にわか雨』
『レグルス』
『湖に沈む夕陽』
『平和―水葬』

∞ ∞ ∞

(美術館のあと 上野動物園をたんけんしたので 写真をのせます)
(あるいているパンダがリーリー すわっているパンダがシンシン) (たぶん・・・)

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FlamingoHippopotamus

2013/10/03 (Thu)

石田徹也

足利市立美術館 『石田徹也展―ノート、夢のしるし』 という展覧会。

108点の作品と 下絵やアイデアをしたためたノートやスケッチブック。

小学校の時分に賞を獲ったポスターや ジーパンや時計に絵を描いたものもあった。
漫画の原稿もあった。フラッシュの描き方が独特。

高崎だるまに あの独特のおとこのひとの顔を描いたものがあった。
しろいだるまには 銀色のパイプやら排水溝やらついていて 便器を模しているらしい。 
おとこのひとは 両の目から 涙を流している。しずかに しずかに 泣いている。

『深海魚』という絵が とってもよかった。映る世界。むこう側。こちら側。浮遊感。
『無題』の 熱帯魚たちがバスに泳いでいく絵も よかった。およぐさかな。

『飛べなくなった人』のまえでは またもや しばし立ち尽くした。

それから 2005年 さいごに取り組んでいた作品。
石田さんによく似た 虚ろな顔のおとこのひとが つくえに向かっているんだけれど
つくえのうえには まっしろな画用紙。からっぽの絵の具箱。
この絵のまえでも ずいぶんながいこと ぼんやりした。

『生きている実感のなさ』
『自分のためだけに良い絵を描いていきたい。』
『結局絵って見る人によるんです。どんな風にでも。』


いもうとが 連れてってくれるって云ってたけれど
おことわりして ひとりぽっちで 観にいったのだった。
石田徹也さんの絵には ひとりぽっちで向きあいたかったんだ。
だって そこには 孤独が描かれているから。

ミュージアムショップで ポストカードを 買い求めた。

『飛べなくなった人』
『燃料補給のような食事』

奈良美智さんのポストカードも 1種類だけ売っていたので 手にいれた。
『Standing on the Lonely Stilt』 というタイトルの
こんかいの展覧会に ちょうど似合っているかんじの 孤独が描かれているもの。

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2013/05/30 (Thu)

クリムト

宇都宮美術館 『生誕150周年 クリムト 黄金の騎士をめぐる物語』 という展覧会。

初期のデッサンは じつに正確で とっても上手。
油彩画も おなじみの作風とはぜんぜんちがっている。
ひかりと 影の うつくしさ。
フェルメールみたいに 瞳のひかりやネックレスの輝きを しろい点々であらわしていた。

『哲学』『医学』『法学』は ウィーン大学大講堂の 天井画として描かれたもの。
ほんものは焼失していて 展示されていたのは 原寸大の おおきな写真パネル。
描かれた当時は センセーショナルな表現が受け入れられず 厳しい批判を浴びたのだという。
はだかのおんなのひとたち。こちらをみている目。胎児とか髑髏とか。
こまかいところまでうつくしく たいへん迫力があった。

『人生は戦いなり(黄金の騎士)』は 愛知県美術館が所蔵していて
展覧会のポスターにもつかわれている絵。いいタイトルだなあ。
金色 文様 花々 きらきら。
かたすみに 蛇がいる。邪悪な蛇。誘惑の蛇。

『アッター湖畔』という風景画は たいへん興味深かった。
おなじみの作風とは だいぶんちがっていて 大胆な筆づかい。
湖に焦点をあてた構図で 水面のさざなみのようすばかりが 丹念に描かれている。
厚紙でつくられた正方形の枠を 風景のまえにかざして モチーフを探したのだという。
だので クリムトの風景画は 基本的に正方形なんですって。

『ストックレー・フリーズ』は ストックレーさんの おうちのなか
食堂の壁に 描かれたもの。家具とともに展示されて おへやが再現されていた。
金色 ぐるぐる模様 かたく抱擁する男女 ちょうちょ。
『薔薇の茂み』という ちょうちょが描かれているあたり おきにいり。

日本初公開の 『赤子(揺りかご)』。
晩年に わずか1ヶ月というみじかい制作期間で 描かれたもの。
ベイビーに 見下ろされているかんじ。大胆な構図。
荒々しいちからづよい筆致の 躍動感。

金色や文様を多用するクリムトが 影響を受けた ジャポニズム。
日本のうつくしい金屏風や工芸品が あわせて展示されていて おもしろかった。
とりわけ 中形糸入型紙は こまかくよくつくられていて みとれちゃう。

∞ ∞ ∞

コレクション展も 堪能した。

袴田京太朗さんの『野蛮』と 松本哲男さんの『地から宙(グランドキャニオン)』が
ならべて展示されている空間は たいへん神秘的な空気を醸しだしていて
いつまでも其処でみていたいきもちだった。

袴田京太朗さんの『野蛮』は ファイバーグラスと布と木でつくられた
おおきな造形で しろい蓮の花のようにみえる。
はなびらのような内側に 木製のしろい円柱の部分がふたつあって それは棺桶らしい。
はなびらのようにみえるところは ちかづいてよくみると
しろいおはなの地模様があって 会場のひかりに透かしてみるととてもきれい。
とってもうつくしいのに タイトルはなぜだか 『野蛮』なのだった。

きょねん亡くなられた松本哲男さんの 『地から宙(グランド・キャニオン)』。
横幅8メートルもある おおきな おおきな 絵。
絵のまえに立つと 壮大なグランド・キャニオンに 吸い込まれてしまいそう。

佐藤時啓さんの 『光―呼吸 Utsunomiya #1』 という作品は
宇都宮美術館のひろいひろいお庭にある1本の樹をメインにした 写真の作品。
樹の幹のまわりには どのようにしてこしらえたものか
しろいひかりが たくさん ちりばめられていて
蛍みたいで うつくしいのだった。

∞ ∞ ∞ 

ミュージアムショップで ポストカードを 9枚 買い求めた。

『人生は戦いなり(黄金の騎士)』
『赤子(揺りかご)』
『アッター湖畔』
『哲学』
『医学』
『法学』
『ストックレー・フリーズ(下絵) 薔薇の茂み』
『ストックレー・フリーズ(下絵) 期待』
『ストックレー・フリーズ(下絵) 成熟(抱擁)』

Klimt

2011/11/10 (Thu)

画家たちの二十歳の原点

足利市立美術館 『画家たちの二十歳の原点』 という展覧会。

展覧会のなまえは 高野悦子さんの『二十歳の原点』から。
なつかしい。高校時代の 愛読書だった。
石田徹也さんの作品が展示されていることもあって いそいそでかけた。

さまざまな画家の 20歳頃の作品。
若くして亡くなった方もあったし 長生きした方もあった。ご健在で絶賛活躍中の方もあった。

草間彌生さんは 若い時分から おそろしい絵を描くひとだったんだなあ。

お目当ての 石田徹也さんは 3作品を鑑賞した。
『燃料補給のような食事』 『飛べなくなった人』 『ビアガーデン発』。
『燃料補給のような食事』 『飛べなくなった人』 は 独特の
いちど観たらわすれない かなしい顔のおとこのひとたちが描かれていて
絵のまえで しばし 立ち尽くした。
あの無表情さが こころを捉えて はなさない。
『ビアガーデン発』は すこし作風がちがっていて
あかるい色調で うっすら笑っているおとこのひとたちが描かれているんだけれど
やっぱりどこか すこしさみしい。

日本画を学んだという桂ゆきさんの作品や
毒々しいかんじの高畑正さんの作品など
あたらしいおきにいりも ちらほらみつかった。

絵もすばらしかったが 傍らに添えられた言葉も いちいち良かった。
日記やら制作ノートやらに書かれた言葉も 紹介されているのだった。
青春時代の 感情の吐露には しばしば真実がある。

以下 こころに響いた言葉 めもめも。

『僕は何の役にも立たない。
僕は今、只今幸福を求める。』
『僕は天才でないかもしれない。それもいい。
僕はやりたい事の総てをなそうと努める。』
―(萬鐵五郎)

『かりの世のかりのいのちのふるまひやわがうたふ歌さびしかりけり』
―(田中恭吉)

『いのちを描くこと。
いまのおれ自身の生きざまを描くこと。
そして、ほんとうの命を生きること。』
―(高畑正)

『私はおそろしく無口な子供で、内心にあることの百分の一も言葉に出すことができなかった。
心の中の受信機は、いろんなものを、ガラクタのきれっぱしまでキャッチするが、さてこちらからなにか言葉を発信するとなると、なんにも出てこない。しゃべる才能が欠如していた。
だから次第に人間と話をするより、狐とか、木とか、虫とか、鳥とかその他の動物と話するほうが、めんどうくさくなくて、ぐあいがよくなった。』
―(桂ゆき)

『聖者のような芸術家に強くひかれる。
「一筆一筆置くたびに、世界が救われていく」と本気で信じたり、
「羊の頭の中に全人類の痛みをきく」ことのできる人たちのことだ。
自分が俗物だと思い知らされます。』
―(石田徹也)
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