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バタフライナイフ

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2024/05/14 (Tue)

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2010/06/14 (Mon)

2010-06-14 18:30

愛犬が 息絶えた。
去年 危篤になった犬とは 別の犬。
(去年危篤になった犬は 今ではぴんぴんしている)

15歳 闘病中の死だった。

3月のおわりに 病を得て
週に1度くらいのペースで通院して お薬をいただいていた。
膀胱炎のような症状が 続いていた。
おなかに 腫瘍が いくつも出来ていた。

病状が進んだのは 6月に入ってからのこと。
6月4日 おなかの腫瘍が 急に あかく腫れあがった。
尿が まったく出なくなって 獣医さんへ。
尿道にも腫瘍があるようすで カテーテルが 通らなかった。
おなかに 直接針を刺して 尿を抜いてもらった。
その日から 連日 通院することとなった。

腫瘍の炎症を鎮めるおくすりを 毎日 注射していただいた。
腫瘍の腫れが みるみる引いて 尿が出るようになった。
寝ているときにも 垂れ流すほど出るようになって
たいへん喜ばしかったのだったが だんだん
食欲が無くなり なんにも食べなくなった。
食べない犬は どんどん 弱っていくのだった。
じぶんで立ち上がれなくなり 立たせてあげても倒れるようになり
後ろ足が利かなくなり つづいて前足にも力が入らなくなった。
寝たきりで うごけなくなった。
ごはんも お水も シリンジで与えることとなった。
処方していただいた流動食を 強制給餌。
まもなく 流動食さえ 受けつけなくなった。
はじめのうち 舌をうごかして おいしそうに飲み込んでくれたのだったが
流し込んでも まるで 口をうごかしてくれなくなった。
みじかい看病生活を振り返ってみると この時が いっとう辛かった。 
シリンジで 無理矢理口に流し込みながら ぽろぽろ 涙が零れた。
腎不全の疑いが強まり お水だけあげて食べさせなくて良くなったときには
ずいぶん 気持ちが楽になった。
寝たきりになってしまっても 毎日の通院は つづいた。
注射をしていただくと すこし元気になるようにも思えた。
胃薬とか 皮下補液とか 呼吸が楽になるおくすりとか
休診の日さえも とくべつに診てくださって
さまざまな治療をしていただいて ありがたいことだった。

6月14日 亡くなった日
その日の朝は 前日よりも 元気があるようにみえた。
ずいぶん落ち着いたようすで ときどき あまえた声で吠えた。
声をあげて吠えるのは ひさかたぶりのことだった。
お水をシリンジで飲ませたり からだの向きを変えてあげたりすると
おとなしくなるのだった。
今思えば 犬は死を予感していて 不安で吠えていたのかもしれない。
ひるまのあいだ とてもおとなしく おりこうさんに 横たわっていた。
夕方 いつもの時間に 獣医さんへ。
いつものように 抱っこして 連れて行った。
獣医さんの待合室で 診察の順番を 待っているときだった。
なんだか 様子が おかしくなった。
幾度か 口をぱくぱく動かすのだが 声は出ないのだった。
ぜんぶの足を ちからづよく踏ん張って そして 突然 だらんとした。
『あれれ?』 とおもっていたら わたしの足元が あたたかく濡れた。
からだのちからが ぐにゃりと抜けて 最期の排尿をしたのだった。
診察の順番が来て 名前を呼ばれたけれど 立ち上がることが出来なかった。

わたしの腕のなかで しずかに 息をひきとった。
しずかな しずかな 最期だった。

とちゅう 『もう通院はやめて自然にまかせて自宅で看取ろうか』 と
よわい気持ちになったことも あったのだった。
抗生物質を注射して 無理矢理給餌して 生かしつづけることは
犬にとってしあわせなことなのか 疑問におもってしまったことも あったのだった。
挫けずに さいごまで通院して 出来る限りのことをしてあげられて よかった。
あかく腫れあがっていた腫瘍も 亡くなるときには
すっかり腫れが引いて きれいな肌の色になり ちいさくなっていた。
痛々しい姿で旅立たせずに済んで 苦しまずに済んで よかったとおもう。
さいごに 獣医さんたちにも撫ぜてもらえて しあわせな犬だった。

きらきらひかる白い毛の うつくしい犬だった。

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