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バタフライナイフ

http://butterflyknife.blog.shinobi.jp/

2024/04/20 (Sat)

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2013/10/03 (Thu)

石田徹也

足利市立美術館 『石田徹也展―ノート、夢のしるし』 という展覧会。

108点の作品と 下絵やアイデアをしたためたノートやスケッチブック。

小学校の時分に賞を獲ったポスターや ジーパンや時計に絵を描いたものもあった。
漫画の原稿もあった。フラッシュの描き方が独特。

高崎だるまに あの独特のおとこのひとの顔を描いたものがあった。
しろいだるまには 銀色のパイプやら排水溝やらついていて 便器を模しているらしい。 
おとこのひとは 両の目から 涙を流している。しずかに しずかに 泣いている。

『深海魚』という絵が とってもよかった。映る世界。むこう側。こちら側。浮遊感。
『無題』の 熱帯魚たちがバスに泳いでいく絵も よかった。およぐさかな。

『飛べなくなった人』のまえでは またもや しばし立ち尽くした。

それから 2005年 さいごに取り組んでいた作品。
石田さんによく似た 虚ろな顔のおとこのひとが つくえに向かっているんだけれど
つくえのうえには まっしろな画用紙。からっぽの絵の具箱。
この絵のまえでも ずいぶんながいこと ぼんやりした。

『生きている実感のなさ』
『自分のためだけに良い絵を描いていきたい。』
『結局絵って見る人によるんです。どんな風にでも。』


いもうとが 連れてってくれるって云ってたけれど
おことわりして ひとりぽっちで 観にいったのだった。
石田徹也さんの絵には ひとりぽっちで向きあいたかったんだ。
だって そこには 孤独が描かれているから。

ミュージアムショップで ポストカードを 買い求めた。

『飛べなくなった人』
『燃料補給のような食事』

奈良美智さんのポストカードも 1種類だけ売っていたので 手にいれた。
『Standing on the Lonely Stilt』 というタイトルの
こんかいの展覧会に ちょうど似合っているかんじの 孤独が描かれているもの。

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2013/09/28 (Sat)

2013-09-12 10:20

愛犬が 息絶えた。
今月17歳になったばかり。突然の死だった。

前の日まで すこぶる元気で
ごはんもぺろりとたいらげて お散歩にもでかけていた。

朝8時すこしまえに てんかんのような発作で 倒れたのだった。
そのような発作は ひさかたぶりだったのだけれど
かつて経験していたような 数分でおさまる軽いものではなく
いつまでも普通の状態に戻らない ながく重たい発作だった。

もがき苦しんでいる犬を前にして 母が 『動画を撮ったら?』 と云ったのは
やがておさまったら獣医さんに連れていって 診ていただくこころづもりだったから。
まさか そのまま死んでしまうなんて おもってもいなかった。母も 無論わたしも。
どのみち カメラを向けることは わたしには出来なかったけれど。

てんかんを起こしている犬は 意識をうしなっているので
痛いとか苦しいとか 感じていないものらしい。
どこの犬に訊いたものだか知らないけれど それが本当なら少しは救われる。
まわりの人間に出来ることは ほとんど無かった。
ぶつかりそうなものをどけて 見守ることくらいしか。

ながいこと足をばたばたさせていたけれど だんだんにうごかなくなってしまった。
どんどんしずかになって 呼吸も止まってしまったようだった。
母が 心臓マッサージを試みたけれど だめだった。
倒れてから2時間以上たたかっていたけれど そのまま意識が戻ることなく 旅立ってしまった。

ちょうどこの日は 休日だった。
家族で囲んで 体を撫ぜてやりながら おわかれすることができたのは 幸いなことだった。

まえの2匹もお世話になった ペット霊園宇都宮 というところで 火葬してもらった。
ほかの2匹の骨壷は 菊の花の地模様の しろい袋にいれてもらったのだったが
今回は 桜の花の地模様の うすいピンクいろの袋。
あの子らしくて かわいらしい。

我が子のようにおもって可愛がっていた3匹の犬たちを すべてうしなってしまった。
18年ぶりに 犬のいないお部屋は とてもしずか。
犬とともに暮らした この18年間は かけがえのない宝物のような日々だったなあ
と しみじみ思い返している。

uran
††
at the crossing

2013/05/30 (Thu)

クリムト

宇都宮美術館 『生誕150周年 クリムト 黄金の騎士をめぐる物語』 という展覧会。

初期のデッサンは じつに正確で とっても上手。
油彩画も おなじみの作風とはぜんぜんちがっている。
ひかりと 影の うつくしさ。
フェルメールみたいに 瞳のひかりやネックレスの輝きを しろい点々であらわしていた。

『哲学』『医学』『法学』は ウィーン大学大講堂の 天井画として描かれたもの。
ほんものは焼失していて 展示されていたのは 原寸大の おおきな写真パネル。
描かれた当時は センセーショナルな表現が受け入れられず 厳しい批判を浴びたのだという。
はだかのおんなのひとたち。こちらをみている目。胎児とか髑髏とか。
こまかいところまでうつくしく たいへん迫力があった。

『人生は戦いなり(黄金の騎士)』は 愛知県美術館が所蔵していて
展覧会のポスターにもつかわれている絵。いいタイトルだなあ。
金色 文様 花々 きらきら。
かたすみに 蛇がいる。邪悪な蛇。誘惑の蛇。

『アッター湖畔』という風景画は たいへん興味深かった。
おなじみの作風とは だいぶんちがっていて 大胆な筆づかい。
湖に焦点をあてた構図で 水面のさざなみのようすばかりが 丹念に描かれている。
厚紙でつくられた正方形の枠を 風景のまえにかざして モチーフを探したのだという。
だので クリムトの風景画は 基本的に正方形なんですって。

『ストックレー・フリーズ』は ストックレーさんの おうちのなか
食堂の壁に 描かれたもの。家具とともに展示されて おへやが再現されていた。
金色 ぐるぐる模様 かたく抱擁する男女 ちょうちょ。
『薔薇の茂み』という ちょうちょが描かれているあたり おきにいり。

日本初公開の 『赤子(揺りかご)』。
晩年に わずか1ヶ月というみじかい制作期間で 描かれたもの。
ベイビーに 見下ろされているかんじ。大胆な構図。
荒々しいちからづよい筆致の 躍動感。

金色や文様を多用するクリムトが 影響を受けた ジャポニズム。
日本のうつくしい金屏風や工芸品が あわせて展示されていて おもしろかった。
とりわけ 中形糸入型紙は こまかくよくつくられていて みとれちゃう。

∞ ∞ ∞

コレクション展も 堪能した。

袴田京太朗さんの『野蛮』と 松本哲男さんの『地から宙(グランドキャニオン)』が
ならべて展示されている空間は たいへん神秘的な空気を醸しだしていて
いつまでも其処でみていたいきもちだった。

袴田京太朗さんの『野蛮』は ファイバーグラスと布と木でつくられた
おおきな造形で しろい蓮の花のようにみえる。
はなびらのような内側に 木製のしろい円柱の部分がふたつあって それは棺桶らしい。
はなびらのようにみえるところは ちかづいてよくみると
しろいおはなの地模様があって 会場のひかりに透かしてみるととてもきれい。
とってもうつくしいのに タイトルはなぜだか 『野蛮』なのだった。

きょねん亡くなられた松本哲男さんの 『地から宙(グランド・キャニオン)』。
横幅8メートルもある おおきな おおきな 絵。
絵のまえに立つと 壮大なグランド・キャニオンに 吸い込まれてしまいそう。

佐藤時啓さんの 『光―呼吸 Utsunomiya #1』 という作品は
宇都宮美術館のひろいひろいお庭にある1本の樹をメインにした 写真の作品。
樹の幹のまわりには どのようにしてこしらえたものか
しろいひかりが たくさん ちりばめられていて
蛍みたいで うつくしいのだった。

∞ ∞ ∞ 

ミュージアムショップで ポストカードを 9枚 買い求めた。

『人生は戦いなり(黄金の騎士)』
『赤子(揺りかご)』
『アッター湖畔』
『哲学』
『医学』
『法学』
『ストックレー・フリーズ(下絵) 薔薇の茂み』
『ストックレー・フリーズ(下絵) 期待』
『ストックレー・フリーズ(下絵) 成熟(抱擁)』

Klimt

2012/11/24 (Sat)

2012-11-24 05:45

愛犬が 息絶えた。
17歳5ヶ月 大往生だった。

もともと外飼いの犬だったけれど 半年ほど前から おうちのなかに入れていた。
脚の腫瘍を じぶんで齧ってしまって 血だらけになってしまうのだった。
エリザベスカラーのようなものをつけたり 靴下の先っちょを切ったものを履かせてみたり
さまざまに知恵を絞ってガードするのだけれど たびたび血だらけになっていた。
齧ったら 腫瘍が取れるとおもっているようすだった。

次第に 腫瘍は ひらたくおおきくなって 増えていった。
脚の外側だけにあったものが 内側にも ひとつふたつ。
脚以外の場所にも ちいさなできものが ちらほら。 

それでも 11月15日までは よく食べよく眠り
もう1匹の犬を追いかけまわしてあそんだり 元気に過ごしていた。

11月15日 てんかんみたいな発作。
ひとつきにいちどくらいの頻度で 発作を起こしていて
いままでは わりあいすぐに けろり回復していたのだったけれど
今回は うまいこと回復せずに 徐々に食欲が落ちていった。
それまで かりかりしたフードを かりかり食べていたのに
かりかりなんて しらんぷり。
缶詰とか おやつとか おいしいところだけ すこし。
そのうち 缶詰も おやつも 食べなくなって
クリームチーズとか 牛肉とか スペシャルてづくりごはんとか
あれこれいろいろ試して たちまちそれらも一切拒否するようになって・・・

2年前に愛犬を亡くしたとき 強制給餌が いっとう辛かった。
流動食をこしらえて シリンジで口に流し込みながら ぽろぽろ涙が零れた。
強制給餌は もう したくなかった。
たべることを拒否する犬に 無理矢理たべさせるということは ほんとうに辛い。
でも スポーツドリンクだけは どうにか与えてみた。
シリンジで すこしずつ 口のなかへ。
あんまり口を動かしてくれなくて 口の端から零れて やっぱり哀しかった。
死にちかづいた犬は たべることも 飲むことも やめてしまう。

さいごの夜は 痛がって 掠れた声で鳴いていた。
日付が11月24日に変わった深夜 あんまり痛がって鳴くので
撫ぜてやろうとおもって手を伸ばしたら その手を がぶり齧られた。
歯をくいしばって なかなか離してくれなかった。
わたしの手には 犬歯のかたちの穴があいて じわり血がでてきた。
傍にあった毛布やバスタオルにも齧りついていたから よほど痛かったんだろう。
すぐさま消毒して 絆創膏貼って じんわりした痛みをおぼえつつ ついうとうと。
ふと目覚めた早朝 ただならぬ気配をかんじる。
犬の息遣いのようすから いよいよ最期のときなのだと ぴんときた。
抱きかかえ 撫ぜてやりながら なまえを呼んだ。

わたしの腕のなかで しずかに 息をひきとった。
さいごの瞬間に ふしぎなことにぱちり目が覚めて まにあってよかった。

2年前にもお世話になった ペット霊園宇都宮 というところで 火葬してもらった。
お骨をひろうとき 骨の説明をしてくださるのだったが
わたしを齧った犬歯は きれいなかたちでのこっていた。
骨壷の うえのほうに 納めた。

2年前に愛犬を亡くしたとき 獣医さんに通いつめて
投薬やら 注射やら 強制排尿やら 皮下補液やら
さまざまなことを試みて さいごの瞬間は 獣医さんの待合室で迎えたのだった。

今回は あんまり獣医さんのお世話にはならず
なるたけ自然にまかせて さいごの瞬間は おうちで迎えることができたのだけれど
痛い思いをさせてしまって かわいそうだった。

どちらがよかったとかわるかったというはなしではないのだけれど
犬を看取るということは どんなに最善とおもわれる手を尽くしたとしても
『ああすればよかった』『こうすればよかった』というきもちが
うかんできてしまうものなのだなあと しみじみ。

17歳5ヶ月で息絶えた犬は むかし狂犬病予防接種のとき
こわがって暴れてとびあがって わたしの頬を齧ったことがあった。

わたしの手に齧りついたのは じつにあの子らしい最期だった。

(2012-12-02 記)

atom
††

2012/04/22 (Sun)

ジョギング

3月の中頃から ジョギングを はじめた。

ほんとうは 去年はじめる予定だったのだけれど
震災やら原発事故やらで体調を崩して シーベルトやらベクレルやらも気がかりで
延び延びになっていたのだった。

はじめのうちは 3kmほど走るのも ようやっとといったかんじだったけれども
だんだんに 4km5kmと きもちよくはしれるようになってきた。

思いおこせば 高校生のとき
いっとうすきな行事予定は マラソン大会だった。
10kmはしったあとにふるまわれる おしるこの おいしかったこと!
はしることは 元来 すきなのだった。

桜の季節は 格別だった。
ジョギングコースになっている ラグビー場のぐるりは 桜並木。
桜のトンネル 桜吹雪のなかを 駆けぬける。

季節の移り変わりを感じながら 自然のなかを はしるよろこび。
いま 生きている。わたし 息をしている。

cherry blossom cherry blossom
cherry blossom

2012/03/15 (Thu)

Zoff

あたらしいめがねを こしらえた。
薔薇の花を模ったレリーフテンプル ひとめぼれだった。

Zoff

2012/03/14 (Wed)

ブレスレットとピンキーリング

天然石の ブレスレット。
アメジスト オニキス 水晶。

ちょうちょのかたちの ピンキーリング。

あれから1年 生き延びた自分に ささやかなプレゼント。

Gemstone&Pinky ring

2011/11/10 (Thu)

画家たちの二十歳の原点

足利市立美術館 『画家たちの二十歳の原点』 という展覧会。

展覧会のなまえは 高野悦子さんの『二十歳の原点』から。
なつかしい。高校時代の 愛読書だった。
石田徹也さんの作品が展示されていることもあって いそいそでかけた。

さまざまな画家の 20歳頃の作品。
若くして亡くなった方もあったし 長生きした方もあった。ご健在で絶賛活躍中の方もあった。

草間彌生さんは 若い時分から おそろしい絵を描くひとだったんだなあ。

お目当ての 石田徹也さんは 3作品を鑑賞した。
『燃料補給のような食事』 『飛べなくなった人』 『ビアガーデン発』。
『燃料補給のような食事』 『飛べなくなった人』 は 独特の
いちど観たらわすれない かなしい顔のおとこのひとたちが描かれていて
絵のまえで しばし 立ち尽くした。
あの無表情さが こころを捉えて はなさない。
『ビアガーデン発』は すこし作風がちがっていて
あかるい色調で うっすら笑っているおとこのひとたちが描かれているんだけれど
やっぱりどこか すこしさみしい。

日本画を学んだという桂ゆきさんの作品や
毒々しいかんじの高畑正さんの作品など
あたらしいおきにいりも ちらほらみつかった。

絵もすばらしかったが 傍らに添えられた言葉も いちいち良かった。
日記やら制作ノートやらに書かれた言葉も 紹介されているのだった。
青春時代の 感情の吐露には しばしば真実がある。

以下 こころに響いた言葉 めもめも。

『僕は何の役にも立たない。
僕は今、只今幸福を求める。』
『僕は天才でないかもしれない。それもいい。
僕はやりたい事の総てをなそうと努める。』
―(萬鐵五郎)

『かりの世のかりのいのちのふるまひやわがうたふ歌さびしかりけり』
―(田中恭吉)

『いのちを描くこと。
いまのおれ自身の生きざまを描くこと。
そして、ほんとうの命を生きること。』
―(高畑正)

『私はおそろしく無口な子供で、内心にあることの百分の一も言葉に出すことができなかった。
心の中の受信機は、いろんなものを、ガラクタのきれっぱしまでキャッチするが、さてこちらからなにか言葉を発信するとなると、なんにも出てこない。しゃべる才能が欠如していた。
だから次第に人間と話をするより、狐とか、木とか、虫とか、鳥とかその他の動物と話するほうが、めんどうくさくなくて、ぐあいがよくなった。』
―(桂ゆき)

『聖者のような芸術家に強くひかれる。
「一筆一筆置くたびに、世界が救われていく」と本気で信じたり、
「羊の頭の中に全人類の痛みをきく」ことのできる人たちのことだ。
自分が俗物だと思い知らされます。』
―(石田徹也)
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